電車男が映画化され、テレビドラマにまでなった。
イラストレーターのOKAMAが好きなこともあって、テレビドラマのオープニングには喜んだ。
ディスプレイの向こう、電車男を応援してくれている人たちが味が出ているのが印象的だ。
電車男は電車の中、勇気を出して酔っ払いを注意することで今まで全く縁の無かった女の人と知り合うことができた。
今まで女性と付き合ったことの無い男には、それこそ夢のように羨ましい話である。
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わたしにも、あの時勇気があれば、少なくとも臆病でなければ、と悔やんでいることがある。
勇気があれば、夏を逃すことも無かったのに。
そう、あれは15歳の頃だった。
わたしは同い年の仲間達と一緒に肝試しをしていた。
他愛の無い物だ。たまたま近くにあった洞穴に入って、中にある石を取って来るというだけの。
だがそれは、忘れられない思い出となった。
中には先客がいた。それも女の子だ。今でも忘れられないのだが、金色の巻き毛をした子だった。可愛いだとか綺麗だとか考えるより前に、その雰囲気に人並みはずれた物を、わたしは感じていた。
彼女は洞穴の中に迷い込んで出られなくなったと言った。
一応、連れて行って外に出してやる約束はしたのだが、あまり女の子となんか遊んだことの無いわたしはつっけんどんな態度を取っていた。
中を進むうちに何かが起きた。
どうしても思い出せないのだが、何か、皆が危ない目に遭ったのだったと思う。思い出せないのはその後の出来事の方が衝撃だったからかもしれない。
わたしはその事件に怯え、それを押し隠そうと責める対象を探した。
そこにたまたま、見知らぬ、変わった雰囲気を持った他人がいた時、15歳のわたしは彼女を獲物とした。
即ち、お前のせいだと責め立ててしまったのだ。
言い過ぎた、と思った時には遅かった。その女の子は声を上げて泣き出し、洞穴の更に奥へ、一人で駆け出してしまっていた。
それでも追い駆けられない、つまらないプライドを持っていた当時のわたしを、今でもずっと悔やんでいる。
すぐに仲間と奥に進んだが彼女とは遭わなかった。幾本も分かれ道があったから、きっと別の所から外に出たのだと思う。
わたし達は中で石を取り、帰った。
わたしにも電車男ほどの勇気があれば、恐ろしいことにも正面から立ち向かうことができたのだろうと思う。
そうすればあの女の子を泣かせることも無く、無事に洞穴を出て、もしかしたら一緒に、楽しい夏の思い出を作れたかもしれない。
わたしはこの季節になると毎年、あのことを思い出し、軽い愁いに沈むことになる。
その夏は酷く寒く、作物も全然育たずに苦しい生活を強いられた。
言ってしまえば夏は来なかった。
――初夏、風鈴の中
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初夏の少女 サーサ
サーサと言えば、今では「夏」を意味する言葉であるが、元来は初夏を司る精霊サーサの名であった。
(中略)
人なつっこい“初夏の少女”サーサは、白く短い衣を身にまとい、髪は短い巻き毛で明るい金髪、瞳は緑、小さな花を咲かす夏草の冠をかぶり、初夏を迎えた丘を軽やかに笑いながら素足で駆け下りるという。幸運にもその愛らしい姿を見ることができた者は、生涯、憂いに心塞ぐことはないのだと信じられている。――ザ・ストレンジソング