小さい頃、草むらに寝そべって、自分は、いつかきっと、高く、遠くへ飛べるものだと思い込んでいた。
その後、いろいろとわけがあって私は、まだ地上にいる。
シナリオ『夢の涯てまでも』のはじめに、そんな言葉を描いた。今でも、僕は、その言葉が好きだ。
「飛ぶ」という言葉の奥底には「皮肉(アイロニー)」が含まれている。
結局、誰だって、本当に空を「飛ぶ」ことはできない。「飛ぶ」という言葉を「たとえ(メタファー)」として扱ってみても、現実から「飛ぶ」ことは空想にすぎないし、生活から「飛ぶ」ことは逃避にすぎない。
だから、多くの場合、背広を着たまま「飛ぶ」ことをあきらめて、ぼんやりと空を眺めることしかできないのだ。
はじめて、門倉さんから「『ローズ トゥ ロード』のリプレイを描いてみないか」と言われて、もう3年ほどになる。
それから、雑誌の連載を持たせてもらい、サプリメントも出させてもらった。『ローズ トゥ ロード』の連載リプレイ『ソングシーカー』は読者の方に喜んでもらっている。
自分は、もしかしたら飛んでいるのかもしれない。
最近、ふと、そんなことを思うときがある。
『ローズ トゥ ロード』のおかげで、北海道にも飛ぶことが出来た。大阪にも名古屋にも飛ぶことができた。
門倉さんともワインを飲みながら、話すことができた。
藤浪さんとも親しくなることができた。
あの鈴木銀一郎先生とは、一緒に『ローズ トゥ ロード』で遊んでいる。まったく自分自身でも信じられないことだ。
井上鮭さんやローズリプレイのメンバーたち。大学のコンベンションで仲間に入れてもらった青山碧さんや泊夜さん、こあらださん。北海道では、Silly Works の o-9 さん、コヨーテさん、s2 さんに mya- さんに、厚顔無恥さん、札幌さん、そして、僕にカニの食べ方を教えてくれながら、僕の目の前のカニを全部、平らげてくれたラムッキさん。そして、卜部古鉄さんのようにイベントで出会った優しい人は、それこそ数知れない。
みんな、『ローズ トゥ ロード』のおかげだ。
僕は『ローズ トゥ ロード』のおかげで、確かに飛んでいる。
――「飛ぶ」という言葉の奥底には「皮肉(アイロニー)」が含まれている。
門倉さんが、サプリメント『ストレンジソング』の前書きで描かれているように、ユルセルームには、使いきりの「鍵」があって、いつかは僕も、その鍵を使い切ってしまって、ユルセルームに入ることができず、空から落ちてしまうのかもしれない。
実際、僕自身、ユルセルームに関して描いたことは、自分自身、もう2度と描くことができないと思っている。
僕は、『ストレンジソング』のようなリプレイを2度と描くことはできないし、数々のローズを舞台にしたリプレイ小説のような小説を、2度と描くことができないと気づき始めている。そして、もちろん、今、書き進めている『ソングシーカー』のようなリプレイも2度と描くことはできないだろう。
『ローズ トゥ ロード』をアントニ・ガウディの「サグラダ・ファミリア教会」に「たとえ(メタファー)」たら、門倉さんは、どんな顔をするだろうか。
ガウディは仔細な設計図を残さない「作りながら考える」建築家だった。だから、彼の建築物は生き物のような曲線を描き、観る者を圧倒させる。
当然、彼のライフワークであった「サグラダ・ファミリア教会」にも仔細な設計図は残されていない。しかし、その不可思議な樹のような形をした高層建築物は100年近くも経った今でも、空に向かって伸び続け、立ち続けている。
そうだ。いつまでも「飛ぶ」ことはできなくても、いつまでも「立ち続ける」ことはできる。
小さい頃、草むらに寝そべって、自分は、いつかきっと、高く、遠くへ飛べるものだと思い込んでいた。
そして、飛ぶことは空想でも、立ち続けることは意志であることに気づくのだ。
――なんだ、そんな簡単なことだったのか。
戻ってくれば、いつも、そこに『ローズ トゥ ロード』は立ち続けている。そして、空に向かって、その生きている物語は変わり続けている。
立ち続ける意志に「皮肉(アイロニー)」はない。
著:小林正親 2005年9月3日