失ってからようやく、その大切さに気付くことがある。
支えてくれた家族がそうだし、傍にいてくれた恋人がそうだし、若さなんかもその類だろう。
そして、人間として生きることの意味も――。
『ヴァンパイア:ザ・レクイエム』は第一に、それを突き付けてくる。
このゲームでは、開始時点でキャラクターがヴァンパイアに見初められ、(大抵は強引に)仲間に引き入れられて、ヴァンパイアとしての生活を余儀なくされている。
太陽の下は歩けず、もはや家族と暮らすこともできない。
永遠に歳を取ることがなく、愛する人がいても、老いるのをただ遠くから見守るだけ。
真の感情を持つことはできず過去の物を使い回すだけだし、やがてはそれさえ涸れて、無感動な生き物になってしまう。
そして何より、かつての自分と同じ人の生き血を啜らなくては、その身を保てない。
そうなって初めて、人間であるとはどういうことか悟り、そのことに必死にしがみつくのだ。
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だが、そんなテーマのゲームなど、およそ現代を舞台にしたRPGならば、いくらでも見付けられる。
そういったゲームたちと『ヴァンパイア』を隔てるのは、アプローチを掛ければ掛けただけ返してくれる、豊潤な世界観だ。
言い換えると、ヴァンパイアってどういう存在なんだろうという問いで作られているゲームなんだ。
人間から血を吸うというのはどういうことなのか、吸い続けるとどうなっていくのか、あるいは吸わないでいるとどうなってしまうのかといったことはもちろん、社会に関することや個人の内面に関することも追求している。
例えばヴァンパイアがどういう存在なのかについても、いく通りかの考え方が示されている。死体が動いてしまっているという呪われた状態、食物連鎖における人類の上位種、より高次の存在になる為の一段階……。
あるいは、同じ性格や特徴を受け継ぐいくつもの血筋、一座(プレイグループ)が住む街のヴァンパイア社会を組み立てる為の、役職や組織といった基礎的な道具立てなどがふんだんにある。
色々な角度からヴァンパイアというものを表現して、複雑で魅力的な世界を描き出しているのだ。
恐らくゲームを始めて最初のうちは、小説や映画、コミック、ゲーム、あるいは他のRPGのヴァンパイア像を頼りに自分のやりたいキャラクターを創ることになるだろう。むろん、それに応えられるだけの豊富さはある。
しかし『ヴァンパイア』世界の奥深さは、プレイするうちにそのさらに一歩先まで、推し進めてくれる。
自分一人だけでは考えようともしなかったことを(「考えさせられる」のではなく)自然と考えるようになったり――なぜ人間と同じ倫理観を持たなくてはならないか考えたことがあるだろうか?――、よくあるヴァンパイア像に一振りのアクセント(病気を広め、病気の人間からしか吸えないヴァンパイア!)を振り掛けてくれもする。
自分だけのヴァンパイアが出来上がっていく。
「様々な種族の中の、ヴァンパイアという一種族」ではなく、「ヴァンパイアが作り上げている世界に棲む、一人の人間」という立ち居地ならではのプレイになるだろう。
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『ヴァンパイア:ザ・レクイエム』はこの「暗黒の世界」という横糸と、そこに棲むヴァンパイアたちという縦糸で織る、織物のような物だ。
あくまで表に現れて主役をなすのはキャラクター。設定におぼれて身動きが取れなくなってしまいがちではあるが、世界はキャラクターを表現する母体である。
そのことを踏まえて、ぜひ様々な物語の可能性を追い求めてほしい。
著:s2 2006年8月24日